恋するようにいきていく。 | 持たない暮らしの家計簿

恋するようにいきていく。

簿記3級の試験が終わりました。

ああ、終わったーと、30分弱の道を歩いて、途中のパン屋で昼食をとりました。

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自分自身にハッとする。

昼食後、久しぶりに大型書店へ行きました。私は本が好きなので、街に行くと大抵本屋に行くのです。

フラフラ漂うように歩いていたら、無意識にミンゾクガクのコーナーにいました。

ほとんど人が寄り付かないその一角で、1人興奮している自分がいました。

私はミンゾクガクが好きです。大学は専攻分野でした。高校の頃からずっとドキドキしていました。

ゾクは「族」もありますが、私は専ら「俗」です。(でも族も好きです)

あえて漢字で書かないようにしているのは、身内バレを防ぐ為でもあります。

ああ、この本懐かしい!こんなマニアックなのまで置いてあるのね!

もうドキドキが止まりません(笑)

あー、良い刺激を受けた!とすっきり離れられればよかったのですが、色々考えていました。

私の好きなものってなんだっけ?

私は、古いものが好きです。

俗のミンゾクガクもそうですが、古くから受け継がれている色々(それは本当有形なものから無形なものまで)に触れると心が落ち着きます。憧れます。

でも一方で、それは現代とは大きくかけ離れていて、その差異に戸惑い、うまく自分の中で消化することができません。

わかりにくいですね。

例えば、古い和食器、大好きです。作家さんが手作りした食器にもときめきます。でもそれは大概、現代の食洗機では洗うことはできません。

フルタイムで働いていた時、食洗機がないと生活がまわらないと信じていました。

そこで手作りの食器は難しいと最初から思い込んで、洋食器を揃えました。

別にその時渋々ではなく、自然とそう選択したのです。

でも、食洗機を手放した今なら思います。

「自分の気持ち」は案外無視できないもんだ。と。

学生の頃は未成年ということもあり、ある程度抑えなくてはならない部分はあったかもしれません。自分で何もかも決められるわけではなかったし、法律上も金銭的にも制約はある。なんとなく、自分で稼げるようにならなきゃ、とか、いずれ結婚しなきゃとか、妙な呪縛を感じていた。

でも、今は随分自由だと思うのです。

もちろん子供がいたり家族がいたり…それが制約と言えばきりがありません。

が、ある程度自分の意思で生きてもいいのです。

せっかくそんな自由があるのに

思い返すと、人の意見や、ステータスや、見た目や、体裁や、理屈で色んなことを選択していることって多いんですよね。

おいおい、本当にそれが好きなのかい?心からドキドキしている?

好きなの?

もう一度問うてみたい。

何でそれを選んだの?

自分の気持ちに正直になろう。

本屋の中で、ふとそう思いました。

モノ選びだってそう。生活全てそう。

私が心から好きだという気持ちで、“それ”を選択してたら、私はもっと毎日が楽しくて、笑っていて、家族もみんな笑顔になるかもしれない。

まぁ、家族がどうなるかというよりも、私は私にもっと正直になってもいいじゃないか。

本屋の一角で、そうだ、そうだよ!

と気づきを得ました。

どこかで思っていたのは、持たない暮らしは私にとって良いことだらけだけれど、どこか保守的にもなっていて、買うときは無難だとかシンプルだとかという理由で無印良品にしたり(無印良品が悪いわけではありませんよ!)、どこかで間違いないという気持ちでモノを選んでいたな、と思っていたのです。

本当に好きなもの、ドキドキするものを限られた私のお金で購入したい。

そう思ったら、家の中の結構なものがドキドキ…とはちょっと違うものだったり…

でもまぁ「これ違う!私の恋するものじゃない!」と一方的に切り捨てるより

オトモダチとして良い距離で付き合っていくのもアリですね。

うまい関係が築けるかな。

※物の話です。

上手くまとめられませんが、自分の強烈に恋した感覚を思い出した1日でした。

自分の気持ちに正直になる、人にも物にも何にでも、結構それを大事にしています。